作品NO.62 10400字 + 対談:7500字
<1クール> の 名作
ジャンル ミステリ・SF・近未来・文学
※ 記事最後に本記事、作品についての特別対談もありますので宜しければ(ここもネタバレなし)
※旧サイト記事(初投稿:2018/12/23)
作品NO.62 『UN-GO』
評価・採点(簡易版)
<1クール> の 名作
※指標:90(めちゃくちゃ良い)>75(良い)>50(2流)
世界観:80 脚本/構成:95 演出:85
キャラ:95 演技(声優):90
引き:85 劇伴:90 作画:85
Ave. 88.13
ネタバレ厳禁度:★★★★☆
作品データ/スタッフ/キャスト
2011年 10月 ~ 12月
フジテレビ「ノイタミナ」
全11話 + 中編OVA『UN-GO episode:0 因果論』
小説原案(坂口安吾『明治開化 安吾捕物帖』)
監督:水島精二
ストーリー・脚本:會川昇
キャラクターデザイン:pako / 高河ゆん
アニメーションキャラクターデザイン・総作画監督:稲留和美 / 矢崎優子 / やぐちひろこ
美術監督:脇成志
音楽:NARASAKI
アニメーション制作:ボンズ
結城 新十郎:勝地涼
因果:豊崎愛生
海勝 梨江:山本希望
虎山 泉:本田貴子
速水 星玄:入野自由
海勝 麟六:三木眞一郎
はじめに
(C)「UN-GO」製作委員会
『UN-GO』は2011年10月~12月にフジテレビのノイタミナ枠で放送されたTVアニメ―ション作品です。また、TV放送と並行して期間限定上映された中編エピソード『UN-GO episode:0 因果論』も存在します。
全11話+中編の劇場版という、決して長くはないコンパクトな尺の作品ですが、放送から9年経とうとする2020年の今も私の心を惹き付けて止みません。
本記事では、『UN-GO』という作品の魅力の源は何なのか、そして未見の方へのおススメポイントを、2018年末に「深夜アニメの歩き方」の旧サイトで公開したものにさらに加筆修正を加え、いくつかの視点からファンの贔屓目たっぷりに紹介していきます。
文章中である程度作品の設定やストーリーにふれていますが、各話の事件の真相ネタバレ等はありませんのでご安心ください。
また、今回の論考の内容は羽海野渉氏が発行された評論同人誌『PRANK! Vol.1』に寄稿させていただいたものと一部重複しています。あちらは主に映像演出やモチーフについての論考で、今回のものと全体的にはまた違った内容になっております。
願わくは、新たに『UN-GO』に魅せられる方が一人でも増えますように。
作品構造
まず、『UN-GO』は視聴にあたって間口が広く浅く誰もが一度で全てを理解できる作品――ではありません。出だしからハードルを上げてしまうようですが、これはもう本作の構造上偽りようのない事実です。
『UN-GO』には原案作品があります。『堕落論』等で著名な文豪・坂口安吾による明治初期を舞台とした探偵小説『明治開化 安吾捕物帖』(以下、『安吾捕物帖』)です。そこでは作品内の時代背景や事件、人物等は執筆当時の昭和20~30年代のものと意識的に重ねて描写されています。
そしてそれをアニメ化した本作では時代設定を今から10、20年程先の近未来に移しています。そこで描かれる事件もまた現実社会(2011年当時)の時事とリンクさせるという、原案の手法に則ったものになっています。
つまり、『UN-GO』には「明治初期」「戦後昭和」「現代」「近未来」という四つの時代のレイヤーが重ね合わされているのです。そして描かれる事件やキャラクターが各時代の要素と呼応し、さらに何重もの意味付けが発生していきます。
さらに第7話・8話のエピソードでは、ある仕掛けにより作品内にもう一つの箱庭的世界が出現し、その中でもストーリーが進むという展開も出てきます。
また、劇場版の『因果論』はTVシリーズ本編の前日譚となっており、これを経由してから本編を観直すと一つ一つの描写により深い味わいが出てくる……というこれまたハイコンテキストな作りになっています。
こうした多重構造により本作が短い話数の中に膨大な情報量を宿しているからこそ、初見で全てを把握するのは極めて困難というわけです。けれど逆に言えばそれだけ繰り返し視聴するに値する奥深さがあるということで、実際に未だ自分含めて根強いファンが多くいる要因なのではないでしょうか。
キャラクター
ではやはり初見には不親切でニッチな作品でしかないのかというと、決してそうではありません。
構造的には非常に複雑である一方、単純に「キャラ萌え」で終始観ていられるというのも本作の欠かせない強みです。
(C)「UN-GO」製作委員会
『UN-GO』はキャラクターデザインにpakoと高河ゆんを起用しています。気鋭のイラストレーターと大御所の漫画家のタッグによって登場人物達は美麗なヴィジュアルを与えられており、推理物という作品スタイル上どうしても静的な場面が多くても、彼らが佇んでいるだけで画が「保つ」のです。そうした外面だけでも十分に魅力的ですが、さらに重要なのはその彼らの内面です。
作中の近未来世界では、日本がある国に行った海外派兵を発端として報復の国内テロが勃発し、日本はその対テロ戦争に事実上「敗戦」します。その傷痕も未だ癒えない社会に『UN-GO』のキャラ達は生きており、誰もが自分の人生に何かしらの歪みを被っています。そこから事件が巻き起こり、人々は事件関係者として登場し、メインキャラは主に事件を解決する側として奔走します。
その過程で眉目秀麗なキャラ達がふと生々しい心情や葛藤を吐露する瞬間、そこにアニメ独特の実在感が生まれ、彼らをたまらなく身近に感じることができるのです。
そうした魅力を最も体現しているのがまさに主人公の結城新十郎です。
(C)「UN-GO」製作委員会
作中の社会は通信メディア企業会長の海勝麟六に牛耳られており、発生する事件も彼によって真実とは異なる世間に都合の良い「美談」として処理されてしまいます。新十郎は探偵として麟六に立ち向かうも毎回勝つことはできず“敗戦探偵”の汚名ばかりが積み上がっていく、というのが毎話のパターンです。そして世間が耳触りの良い麟六の美談に迎合する中でも懸命に真実に目を向けようとするスタンスそのものが、彼をもう一つの呼称である“最後の名探偵”たらしめているのです。
しかし新十郎は完全無欠のヒーローではなく、彼もまた弱さを抱える人間の1人に過ぎません。事件関係者に感情移入して真相解明を躊躇ったり、自らの先入観で真実を見誤ったりすることも少なくありません。そんな欠点があるからこそ、彼が事件の犯人とそこに共感する者を一方的に指弾するだけの展開にならず、ひいては作品全体としても視聴者を置き去りにして話のテーマが先走ってしまうような事態にもならない。
新十郎の迷える主人公としての在り方が本作の優しさの核となっているのです。
(C)「UN-GO」製作委員会
他にも、温室育ちのお嬢様な一方で絶妙にお転婆な海勝梨江(上図)、新十郎の相棒として謎めいた能力を発揮するも基本的にはやんちゃな魔少年である因果(下図)、冷静有能な情報収集役だけれどどこかお茶目な佐々風守……等々、どのキャラも何かしらのギャップ萌えを抱えています。
とにかく彼らの人間臭さを追いかけていれば、作品の中心に自然とピントを合わせて観ることができるはずです。
(C)「UN-GO」製作委員会
そして数多の愛すべきキャラ達を演じるキャスト陣にも今でこそ注目すべきでしょう。
主人公の結城新十郎を演じるのは今や人気俳優の勝地涼。元AKBの前田敦子さんとの結婚でも話題になりました。アニメ作品の主演に本職声優ではない人物を起用するというのはいつの時代も賛否が分かれる試みですが、本作では彼の良い意味での異物感が新十郎の朴訥なキャラと十二分にマッチして相乗効果を上げています。
ヒロインの梨江にはメインキャラ級の役柄は初の新人声優だった山本希望、風守(下図)には2018年にドラマ『ホリデイラブ』『ブラックスキャンダル』等で改めて注目され、今も出演作増加中の松本まりか。
彼らのブレイク前夜の確かな仕事ぶりを振り返る意味でも、『UN-GO』は是非おススメです。
(C)「UN-GO」製作委員会
また、2020年4月12日に病によって亡くなられた藤原啓治さんも本作品に出演されています。出番こそ少ないですが、事件のキーキャラクター役として盤石の芝居を魅せていらっしゃいます。
ご当地アニメとして
さらに、『UN-GO』は物語の舞台である「新宿」という土地の歴史性を描いた作品でもあります。
(C)「UN-GO」製作委員会
主人公の新十郎は新宿を活動拠点としています。内戦テロの標的地にされ立ち入り禁止区域となった新宿の大型書店跡地に探偵事務所を開き、舞い込む依頼に応対し事件現場に出向いていきます。
新宿は日本史上では戦国時代までは政治・文化の中心である京都から遠く離れた地方の牛込郷という人里もまばらな荒野であり、地勢的にも大きな変革はありませんでした。しかし江戸幕府が開かれ政治・文化の中枢が関東に据えられることになると、徳川家康が主導する大公共工事時代が始まります。
江戸が拓かれ中心部に住居が次々と作られると、密集した木造住居は火災を頻発させるようになります。中でも明暦の大火は被害が甚大で、これをきっかけとして防火対策が本格化し、江戸中心の住居密度をさげ被害を分散させるための屋敷・寺社の郊外移転が実施されます。
その移転先に後の牛込地域も選ばれ、膨大な人・家・施設が牛込や四谷の地区に流入し、農村だった全域の半分が宅地化します。そして宿場町である「内藤“新宿”」も開設され、盛り場としても一気に土地は活性化していきます。
そして大正12年の関東大震災。東京全域が大打撃を受けましたが、牛込や四谷の辺りは被害が軽微でした。要因としては、沖積低地でもろい地盤の東京東部・南部に比べると牛込・四谷の位置する武蔵野台地が地質的に強固であったことが挙げられます。そこから東京西部へ人々が移り住む流れが生まれます。
第二次世界大戦末期の空襲でも牛込や隣接する四谷はほぼ焼け野原になりましたが、やはり復興は早く、民間主導の興行街化が進みます。
そして昭和22年、牛込・四谷・淀橋が合併していよいよ「新宿区」が誕生します。昭和25年の東京産業文化博覧会開催やゴールデン街の発足等で弾みをつけて、今の新宿の姿に続いていきます。
こうして新宿の歴史を概観していくと、そこが常に災後・戦後の人々の受け皿の役割を果たしていたことが分かります。人を引き寄せる磁場のようなものが宿る土地だったのです。
そしてそんな街だからこそ、作中世界の状況の発端である内戦テロの標的にもなりました。世界観設定が詳細に描かれた小説版『UN-GO 因果論』では内戦テロは通信インフラの遮断を目的として行われ、ネットサーバーや国際電話ケーブル、携帯電話会社の本社が狙われました。新宿を代表する建造物でもあるNTTドコモ代々木ビルがテロによって倒壊する場面が劇中でも描かれています。
このように、人間の生命力と混沌性の象徴のようであり、物語の起点となりうる要素も満たした場所だからこそ、近未来戦後の混迷した社会を描く作品の舞台としてはうってつけだったのでしょう。
さらに劇中では、立ち入り禁止区域となった新宿駅跡地に新十郎と因果だけでなく他の社会からのはぐれ者と思しき人々も多く不法定住している様子があります。新宿の歴史の再演として非常に説得力がある描写です。
ミステリ作品として
ここまで作品構造やキャラ・キャスト、土地柄等の面で『UN-GO』を捉えてきましたが、ここからはジャンル作品としても考えてみましょう。
(C)「UN-GO」製作委員会
本作をエンタメのジャンルで分類する場合、まずは「ミステリ」がメインになるでしょう。そこから分析した場合、本作がミステリとしてかなり挑戦的な作品であることが分かります。
ミステリには「フーダニット(犯人当て)」や「ハウダニット(トリック解明)」等様々な形式がありますが、『UN-GO』は犯人の動機を問う「ホワイダニット」に重きを置いています。
第1話で殺人が発生した時、皆が犯人を探す最中に新十郎は呟きます。
「問題は『誰が』よりも『何故』かもしれないな」
まさに「この作品ではホワイダニットをやりますよ」というメタ的な宣言です。
(C)「UN-GO」製作委員会
勿論毎回の事件の中で犯人やトリックの解決も行われるのですが、その上で犯人は何故犯行に及んだのかの解明が一番の盛り上がり所になります。そしてそこから犯行動機に関連する社会背景が浮かび上がり、本作の社会派SF要素へとスムーズに接続されていくのです。
この構成により、『UN-GO』は物語とジャンル性を見事に融合させています。
(C)「UN-GO」製作委員会
また、本作は「後期クイーン的問題」と向き合った作品でもあります。ミステリ作家・法月倫太郎の言及から生まれた命題で、要約するならば
- 探偵役も作中の登場人物である以上、神の視点を持ち得ない。故に、探偵役の解明した真実を100%信用できるのか
- 探偵役と事件の発生は不可分であり、探偵役の活躍は事件関係者を救っているとは言えないのではないか
というものです(「初期クイーン論」より)。
前者については、新十郎の相棒である因果の「相手にたった一つだけ本当のことを言わせる」という特殊能力によって問題を上手く回避しているとされています(「[座談会]UN-GOと探偵小説」より)。
そして後者については、ストーリーの中盤で「別天王」(下図)という新たな超常的存在が登場してから「新十郎の推理によって傷つく人間」「事件によって探偵役を呼び寄せる」要素に絡めた話が展開していきます。
(C)「UN-GO」製作委員会
論理性を軸とするミステリと何でもありのファンタジーは余程上手く処理しない限り食い合わせが悪いような印象がありますが、『UN-GO』ではファンタジー的要素をむしろ作品の根幹に設定することにより、ミステリとしての強度を高めています。
また、事件の真実そのものは重要視せずそれをいかに社会に対して都合の良いものに仕立て上げるかという海勝の手法は、事件の内容(何が起こったか)を推理する「ホワットダニット」の一種でもあります。
近年の作品では2020年1月にアニメ化された『虚構推理』がまさにこの部類でした。それの一足早い部分的な実現だったと言えるかもしれません。
このように、ミステリというジャンルの枠組みや表現方法に意欲的に取り組んだ作品としても一見の価値ありです。
坂口安吾原案作品として
改めて、坂口安吾作品のアニメ化という側面にも目を向けてみましょう。
クレジット上は『安吾捕物帖』が原案ということになっていますが、厳密にはそれだけではありません。毎話『安吾捕物帖』のエピソードを下敷きにしつつ、安吾の他作品(『夜長姫と耳男』『アンゴウ』『白痴』等)の要素も織り交ぜています。
また、新十郎が毎回事件解決のクライマックスで発する科白には安吾の評論や随筆(『堕落論』『余はベンメイす』『デカダン文学論』等)からの引用が多く含まれています。そして元作品の人物設定や文化風俗を巧妙に近未来のものに置き換えており、坂口安吾のファンではあれば作品のあちこちにそのモチーフを見つけることができるでしょう。
そして、本作はただ安吾の作風や思想をトレースしただけでの作品ではありません。
例えば、第5話「幻の像」では話の骨格は『安吾捕物帖』内の「幻の塔」と随筆の「特攻隊に捧ぐ」を元にしています。安吾は戦後に書いた文章で戦争や日本社会の旧弊を強く批判しており、「特攻隊に捧ぐ」でも特攻隊という仕組みを厳しく糾弾しています。しかしその一方で特攻隊の若者達自体には畏敬と称賛の言葉を送っています。
文章は戦争批判と自己犠牲賛美の間を行き来し、最終的には以下のように着地します。
要求せられた「殉国の情熱」を、自発的な、人間自らの生き方の中に見出だすことが不可能であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。”
『UN-GO』の第5話でも、原案と同じく若者達の自己犠牲を利用する者への批判と本人達への尊敬を対立させています。しかし、本作では結局死んだ者の真意を誰も知ることはないという戒めと勝手な願望投影の裏で利潤を得ている者への批判の方を最後に持ってきて終わります。
用いているメッセージは原案のものでありつつ、その配置の順番を入れ替え微妙に指摘を足すことで、安吾の特攻隊への屈折した想いに批評的な視点を当てて表現しているのです。
また、最終話で新十郎と宿敵の海勝麟六(下図)が改めて対立する一幕があります。その時に両者は自分のスタンスを言葉にして示すのですが、その科白はどちらも安吾の文章からの引用なのです。作品内で安吾の言葉を代弁するのは新十郎ただ一人ではなく、彼を含めた登場人物全体が安吾の似姿です。
(C)「UN-GO」製作委員会
このように、『UN-GO』は『安吾捕物帖』を中心とした坂口安吾の諸作品の集成であり、彼の作家性・人間性をその矛盾や迷いもひっくるめて丸ごと拾い上げ、人物・科白・物語全てを用いて現代に甦らせてみせた、まさに原義でのアニメーション(生命を吹き込む)作品と言えるでしょう。
時代性
そして最後に、2020年の「今」本作を観る意味を考えてみましょう。
前述した通り、原案の『安吾捕物帖』が明治初期の作品世界を昭和20~30年代の時事に重ね合わせて描いた手法を踏襲して、『UN-GO』もまた各エピソードに現代社会の時事を盛り込んでいます。
第1話では「戦災からの復興」を目的としたパーティが開かれており、それは否が応でも東日本大震災直後の日本の状況を想起させます。また、復興資金と汚職・賄賂の関係はODA不正問題等も連想できるでしょう(『UN-GO OFFICIAL LOG BOOK』より)。
続く第2話では娯楽の規制や著作物の違法アップロードが事件の背景にあり、
第3話・4話ではそれからテーマを引き継ぐようなかたちで表現と公序良俗の対立、創作者の倫理の領域に踏み込みます。
そして第5話では自己犠牲者への感情移入の問題、第6話では民間刑務所、第7・8話では戦争を扱った作品へのスタンスなどが取り上げられます。
第9話~11話の最終エピソードでは、サイバー犯罪やエネルギー利用の是非等が事件の中心となり、陰謀論への言及とともに9.11や3.11との向き合い方が科白によってほぼ直接的に語られます。
劇場版の『因果論』では海外派兵や外国の武装組織に邦人が拉致・殺害された事件が元ネタとなっています。
念のため、『UN-GO』はそれら諸事象について何か特定の信条や行動を訴えかけるものではありません。ストーリー・脚本を務めた會川昇氏が“自分は作品を通して社会に一言物申したいわけではなくて、自分がいま生きていて、一歩家の外に出ればある空気をそのままアニメとか小説の中にふと流し込んだときに、やっと自分の作品ができあがるような気がするのです。”と語るように(「[座談会]UN-GOと探偵小説」より)、それはあくまでフィクションと現実の間の架け橋なのです。
こうして振り返ってみると、『UN-GO』の各エピソードの題材となった時事は放送当時の2011年に耳目を集めていたのは勿論、あれから9年が経つ2020年の今も現在進行形でより深刻化しているものばかりだということが明らかです。
特に海外での邦人拉致については、2015年からシリアのテロ集団に拘束されていたジャーナリストが2018になって釈放された件で再び社会を席捲する話題となりました。
表現の自由とその規制についても、ポリティカル・コレクトネスやフェミニズムと関連してますます切実な問題として議論されてきています。第4話での新十郎とある人物の道徳問答はより迫真性を増して響いてくることでしょう。
ある登場人物が告白する省庁が関与した文書改竄の疑惑は、放映当時は2010年の大阪地検の証拠改竄事件から着想を得たもの(『UN-GO會川昇脚本集』より)とのことでしたが、今ではむしろ2018年以降に問題化された文書改竄問題の数々を想起することの方が多いでしょうか。
そしてキャラクターの項で述べた通り、作中発生する数々の事件はどれも災禍によって変容した社会や政治の混迷に翻弄された人々によるものだという共通点があります。それはまさに2020年の今現在、新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的流行によって生活や社会の在り方を根底から揺るがされている私達の状況と少なからず重なるものです。
勿論あくまでも『UN-GO』は2011年の作品であり今の事態を予見したものでは決してなく、戦争と感染症流行とを単純に同列視することはできません。それでも、作品中で見えない大きな力によって生活や人生を決定的に変えられてしまったキャラクター達の苦悩や何とかそこに適応(あるいは抵抗)しようとする姿は、否応なく今までより尚切実で共感度の高いものとして私達視聴者の目に映ります。
更に、現代は「ポスト・トゥルースの時代」と称され、客観的事実よりも嘘偽りであっても個人感情に強くアピールするものの方が影響力を発揮する状況であると言われます。
『UN-GO』の2011年当時より更にwebメディアや個人の情報発信力が強まりフェイクニュースも増加してきている今、作品内でキャラ達が混乱した現実の中で自分にとっての真実を求める程にそこから遠ざかり分断されていく様子はますます他人事ではなくなっています。
『UN-GO』の時事性は放映当時から時を経て色褪せるどころかむしろより切実で身近なものとして今この現実に迫りつつあります。
おわりに
以下の文章は、2018年末に「深夜アニメの歩き方」旧サイトに本記事を寄稿した際の結びの文章です。
***
他にも光陰の表現が素晴らしい作画演出や物語を常に統制する劇伴、小説版や漫画版等のメディアミックスの秀逸さ等々、語りたいことは尽きないのですが、論考のまとまりのために一旦ここで締め括らせていただきます。
『UN-GO』を初めて観た時、「きっとこれは何年経っても残る作品になる」と思っていましたが、ここまでの強度と射程を備えたものだとは想像以上でした。「いつ観ても今観るべきアニメ」として『UN-GO』は存在しています。
2011年当時の社会をリアルタイムで映した『UN-GO』から2018年今現在にも呼応した『UN-GO』までの間にその時々の『UN-GO』があり、そしてこの先も。
観る人によって当然賛否は分かれるでしょうが、その重層性・時代性は唯一無二のものとして確かに心に刻まれると私は信じています。
そしてまた何年後かに改めて本作を観直した時、そこには一体どのような新しい意味づけが生まれているのか――作中の新十郎の言葉を借りるなら、やはり“これからが楽しみ”で仕方がないのです。
***
それからおよそ1年半が経った今、世界中を巻き込む未曾有の事態の中にあって、『UN-GO』はまさに新しい意味づけを獲得してしまったと言えます。それは作品内容が変質したということではなく、作品を捉える私達の視点に決定的な変化が生まれてしまった、という意味で、です。
そして物語の中で人々が見出す「答え」や「真実」が決して絶対不変なものではないように、『UN-GO』という作品が示すイメージはやはりこれからも如何様にも変転し、視聴者へ問いかけ続けてくることでしょう。
「あなたの眼に、いま見えているものは……何?」
(『因果論』より)
参考資料
- 坂口安吾「特攻隊に捧ぐ」『占領軍検閲雑誌』雄松堂、1983年/引用は青空文庫よりhttps://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45201_22667.html
- 日高昭二「『安吾巷談』・『明治開化安吾捕物帖』をめぐって―「開化」の終焉という逆説―」『国文学解釈と鑑賞』至文堂、1993年
- 法月倫太郎「初期クイーン論」『現代思想』青土社、1995年
- 編集・執筆:井上ゆかり、藤津亮太、野下奈生、野口智弘『UN-GO OFFICIAL LOG BOOK』学研、2012年
- 構成:飯田一史「[座談会]UN-GOと探偵小説 會川昇×笠井潔×小森健太朗」『本格ミステリー・ワールド2013』南雲堂、2013年
- 『UN-GO會川昇脚本集』スタイル、2012年
- 『ふるさとの文化遺産郷土資料事典13 東京都』人文社、1997年
評価・採点
作品評価
名作
傑作 絶対観た方がよい作品
名作 観るべき、マストではずせない作品
良作 観た方がよい(がマスト!とは言い辛いかもという)作品
佳作 時間があるなら是非観ることを勧めたい作品
水準作 普通だが見どころは(十分)ある作品
凡作 酷いが全否定ではない、どこか残念な作品
失敗作 ほぼ全否定、何とも残念な作品
傑作・名作 傑作と名作の中間(ただしカテゴリは名作とする)
傑作>名作 傑作寄り(同上)
傑作<名作 名作寄り(同上)
※惜作 名作になりえた惜しい作品
※超神回 ずば抜けて素晴らしい名作回がある作品
レーダーチャート評価
世界観:80 脚本/構成:95 演出:85
キャラ:95 演技(声優):90
引き:85 劇伴:90 作画:85
Ave. 88.13
100 唯一無二、これ以上はそうそう望めない最高峰
95 最高、傑作レベル、文句なし、その作品にとってなくてはならない
90 めちゃくちゃ良い、名作レベル
85
80 かなり良い、良作レベル
75 良い
70 なかなか良い、佳作レベル
65
60 普通、水準作レベル、少々物足りないが及第点は出せる
50 凡作レベル、2流
30 失敗作レベル、3流
ネタバレ厳禁度
★★★★☆
要注意。ネタバレによって面白さ・衝撃度が低減する可能性あり
ネタバレが魅力低減に直結するタイプの作品ではないと思っていますが、形式としては推理物なので……。
関連商品
※本項のみpianonaiqが担当
円盤
国内版ブルーレイは因果論を加えると全部で5本ですね。セットもありますが各巻個別に入手するのが基本みたいです。
海外版ブルーレイです(視聴環境に注意)。因果論含め全話収録で3000円という相変わらずの破格の安さになってます(字幕も消せる仕様です)。
書籍
本作の原案小説です。
本文でも紹介されているノベライズがこちら。
特別対談 〈執筆者×主催者〉
※ 対談収録日:2020/05/17(本項もネタバレはなし)
はじめに
本項では、執筆者の絵樟さんをお迎えし、少し気軽なノリで作品について語り合いつつ、記事内容などについて伺っていけたらと思います。
今回の記事は2018年に投稿された過去記事に、ここ最近の状況を踏まえた新しい文章を加えたものです。
当時の記事誕生の経緯としては、私が評論同人誌に掲載されている絵樟さんの「SHIROBAKO」に関する論考を読んで感銘を受け、その流れで「UN-GO」といえばこの人しかいない、となりお声がけさせていただいたと記憶しています。
絵樟さん、新たな加筆などありがとうございました。そして本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。今回はこちらからの記事のリライト申し出を了承していただき、細かい修正にも対応していただいて大変感謝しております。
前日譚の枠に収まりきらない「因果論」
この対談に合わせて、ということも少なからずあったのですが、先日未見だった「因果論」をようやく見ることができました。そのままの流れで放送当時以来となる2周目のTVシリーズ完走も果たせたのですが、まあ率直に、面白かったですねぇ。
特に、初見となった「因果論」の出来栄えがまさかここまでのものだったとは、というあたりで深く感銘を受けたのですが、記事本文で「これを経由してから本編を観直すと一つ一つの描写により深い味わいが出てくる」と絵樟さんが語られているあたりを身をもって実感することになりました。
内容に関して、TVシリーズ中盤以降の重要キャラである別天王の脅威を描いた点では、TVシリーズの全体像を明瞭に示す布石として脚本構成的にも重要な駒のひとつになっていますし、クライマックスでのヒロインの科白はテーマ部分においても作品全体に一本筋を通すような極めて重要なものに感じられました。
他にもありますが、この2点だけ取り出しても「因果論」を単なる前日譚の枠に収まらない「UN-GO」の核を担う重要エピソードと位置付けるのには十分かなと。
また、今回TVシリーズの視聴が最後までサクサク快適に進んだのも最初に「因果論」を観た影響がかなり大きかったとも思うのですが、初見者へのガイドを目的とする「深夜アニメの歩き方」として、初見時に「因果論」をどのタイミングで見るのがベストか?といったあたりの話からまず絵樟さんにご意見をうかがえたらと思います。
(C)「UN-GO」製作委員会
「因果論」は本当に名編ですよね。
2011年のTV本編放映当時は、第6話の前後に期間限定上映されていました。ちょうどTV本編にも別天王が登場するタイミングだったので、鑑賞済だと直後の第7話・第8話の複雑な構造がすっと頭に入ってきたんですよね。
なので物語理解とリアルタイムの鑑賞可能順に従うならば第6話~第7話の間に観るのが適当かもしれません。
ただ、今回のpianonaiqさんのように、初めに「因果論」を鑑賞した上でTV本編に臨むと、作中の新十郎の心理や何気ない会話・仕草の裏にあるものが奥深く感じられて、最初からカロリーの高い視聴が可能になるでしょう。
そして若干ネタバレですが、最終話に新十郎が語る彼の過去がそのまま「因果論」の話につながっており、そして「因果論」のラストがTV本編へ……という円環構造になっているので、TV本編後に鑑賞するのもおススメです。
……というわけで、どのタイミングで観てもベストですよ!というのが解答じゃないかと(笑)
また、これは自分の旧ブログでだいぶ穿って書いたことなのですが、「因果論」とTV本編にはどちらも「爆発炎上する車」の描写があります。それが物語の中でどういう意味を持っているのか、新十郎はそれぞれへどのような反応をしているのか、に注目するとより作品を楽しめると思います。
そして何より、「因果論」は人生における夢や目標をめぐって主人公が苦悩するモラトリアムの物語なので、今まさにその最中にある人・かつてそうだった人両方に……つまりはほとんど全ての人に刺さる作品です。
「因果論」をどのタイミングで見るのがベストか、これは絵樟さんにお聞きしてやっぱり正解でした。
結論として…どのタイミングでも問題なし!というのがそのまま本作の懐の深さを物語るようでもありますが、これから「UN-GO」をご覧になられる方には参考になるのではないかと思います。
「爆発炎上する車」は興味深いですね。いわれて、「なるほど、もしかして…」と少し思い当たるものがありました。3周目に挑む際は、ちょっとそこに注目してみたいです。
あと、「UN-GO」の作風の大きな柱となっているファンタジー要素については記事本文の「ミステリ作品として」の項でも言及があり、これについては後ほどまた取り上げたいと思うのですが、「因果論」ではこのファンタジー要素が異能バトルアニメ的ともいえる絵的高揚感を生んでいたのも良かったですね。
この辺を考えると、まさにアニメだからこそ出来た題材であり、実写ではキツイだろうなと(笑)
時代と呼応し続けるアニメ
ここからは話をTVシリーズに移したいと思います。
「因果論」でこれは凄いともうがっつり掴まれた訳ですが、TVシリーズに関しては、特にやっぱり第9話~11話からなる最終エピソードがそれを上回るとも思える実に見ごたえあるものでした。最初と最後がきっちりしていてる作品というのは満足度高いですし、この辺はさすが會川昇さんだなあとあらためて感心しました。
あっと驚く展開、は最終エピソードに相応しいカタルシスがあって本作に望むエンタメ性を120%で実現してくれたのではないかと思いますし、それ以上に深く刺さってくるテーマ部分の描きに関しては、記事タイトルにある「時代と呼応し続ける」アニメとしての側面を強く感じずにはいられなかったです。
テーマについても色々ありますけども、まあやっぱりここ最近の日本が置かれている状況を考えると、記事本文「時代性」の項で触れられている文書改竄を描いたシーンなんかは否が応でも刺さってしまいましたねえ(笑)
その極めつけ、個人的に最も唸ったのが別天王の正体とオチに関する部分ですが、ここには最終話での新十郎と海勝麟六のやりとりや、「因果論」でのヒロインの科白の内容も絡まってくるわけで、まあよく練られたお話だなあと感心するばかりです。
「UN-GO」はエンタメ性とテーマ性を高次元で両立させた作品、というのが私の評価になりますかねぇ。
小難しいテーマと直球のエンタメは相性が悪い、という意見はよくありますが、自分は全くそうは思わないです。
作品世界の社会や歴史を詳細に描き込めば、キャラクター達がその世界に対して日々何を思って生きているのか?という掘り下げにもなりますし、アクションや科白一つ一つにも意味が生まれて、視聴者を退屈させません。
『UN-GO』はその証明だと信じています。
そして放映から10年近くの時を経てもこうやって思いを馳せることができるのは、本当に幸せな出会い方ができたと思っています。
良い作品だから好きなのか・好きだから良い作品だと思っているのかが自己判断つきかねるのが長年のファン故の悩みですが(笑)
「作品と時代とのリンク」は何も『UN-GO』だけの特徴ではなく、エンタメ作品全てに言えることです。全く時代の影響下にない創作物というのはあり得ないので。
それでも、そうした時代・社会との関係性を原案からして意識的に織り込んで濃縮していったところが『UN-GO』の頭抜けたところと言えるでしょう。
先程も少し触れた本作のファンタジー要素に関してですが、絵的面での充実以外のテーマに関わる部分においても、因果の「相手に一回だけ本当のことを吐かせてしまう」というミステリ作品としては禁じ手?ともいえるような超越的な力の扱い方が絶妙であったように思います。
この力によって事件を鮮やかに解決して爽快な感動を与える、という方向性にはもっていかず、どちらかというとビターな味わいを残す作風に仕上がっている点が本作の魅力ですが、そう考えると海勝麟六の情報操作というのも実にクリティカルな設定に思えてきます。
因果の力を仮に「嘘を吐かせる可能性だってあるのでは?」と疑えることもできるわけですから、そうすると尚のこと上手な落としどころを設定したものだと感心しちゃいます。
<物語の中で人々が見出す「答え」や「真実」が決して絶対不変なものではない>
「おわりに」の項で絵樟さんはこう述べられていますが、本作は「真実とは?」というという問いがズシリと響く作品であり、そこで再び「因果論」と最終話の重要性が増してくる、という感じでしょうかね。
思うに、『UN-GO』の世界では「真実」イコール「正解」ではないんですよね。むしろ、周りからは間違いと思われようともその人の中でだけは唯一正しいモノ。
「因果論」のクライマックスで新十郎が因果のあの問いに返した答えが、厳密には「事実」ではなく彼の主観でしかないように。
そして「因果論」の由子の最後の言葉はそのテーマをさらに深めています。
人それぞれの真実はやはりその人だけのもので、たとえ合っていても他者から無理やり暴かれた時点でそれは喪われてしまうのだと。ある意味彼女は因果の能力やそれによる事件解決のアンチテーゼなんですよね。
だからこそ実際に『UN-GO』の物語も因果がミダマを引き出してハイ終わり、とはいかないわけで。
この塩梅は考えれば考えるほど巧妙だなと思います。
巧妙ですよねぇ…。いや、絵樟さんのおかげでまた少し作品の捉え方が整理されたように思います。ありがとうございます(笑)
「真実」とか、その辺は本当に本作では深い描きがなされていると思うので、少し期間を空けて、何年後かに接してみたらまた違った印象や発見をもたらせてくれるのではないかなあと。
最後に
最後は少し軽い話題で締めたいかなと思います。
キャスト陣に関しては、「キャラクター」の項目で書かれている内容に納得だったのですが、個人的には因果役の豊崎愛生さんが本当に素晴らしかったなと。
勝地涼さんなど、本業ではない方がいい味を出す中で、本業の声優さんが底力を見せてくれたというか、この辺のバランスも「UN-GO」の魅力かなと。
いや、もう豊崎さんの声が因果としてこれ以上ないくらいハマってる、と私には思えたんですよね(笑)
絵樟さんの好きなキャラや、思い入れのある話数など、その辺についてもよろしければお聞きしてみたいと思うのですが。
(C)「UN-GO」製作委員会
自分が好きなキャラはやはり風守ですね。
容姿や中の人の声のキュートさとか、魅力を挙げればキリがないのですが(笑)、物語の中の立ち位置も気に入っています。
先ほどの応答と絡めれば、『UN-GO』のほぼ全ての登場人物が真実を求めて惑わされる中で、風守は唯一先入観や偏見に拠らない「事実」を見定められる存在です。
事件の真相を見失った新十郎を冷静にさせたり、別天王の驚異的な力に対抗したりといった描写はその証左ですよね。
真実を思いのままに弄ぶ海勝麟六さえも実は壮大な夢を見ている(ようにとれる)科白を発しているわけで、実は作中で一番特権的なポジションにあるのが風守だったと思います。
だからこそ、最終話ラストシーンでの登場とその見るものが何か、というのが大変美しい結末でした。
話数については、その風守が探偵事務所メンバーに正式加入してキャラが出揃った第5話「幻の像」が一番好きですかね。
風守は内面に関わる設定の良さもありますが、あの外見に関しては、放映から随分月日が経った今見返しても色褪せない特筆すべき造形ではないかと私も思います。まあその点では因果なんかも同様に秀逸であるとは思いますけども(笑)
しかし、また3周目が楽しみになるような色々興味深いご指摘をいただけました。ありがとうございます。
あと、これは余談で物凄く個人的な感想になるのですが、「UN-GO」は端役で出てくる女性キャラが皆魅力的でしたね(下図)。アニメ見ていてあまりそういうことを感じない方なんですが、凄くエロいなと(笑)
本作はシャープなキャラデザが魅力ですが、その辺が影響してるのかなあと。
(C)「UN-GO」製作委員会
いや本当に、『UN-GO』は女性キャラ含めて出てくる人が総じてエロかったと思います。
それは単に露出度が過激とかサービスシーンが多いということではなく、どのキャラにも人間としての生っぽさがあったからかなあと。
pianonaiqさんのおっしゃるようにシャープな――つまりひたすら足し算的な華美さではなく比較的シンプルなラインの登場人物が不意に蠱惑的な態度をとったりその背景に悩ましい事情が見え隠れしたりすると、そのコントラストによってある種の薄暗い背徳的な色気がにじんでいたのだと思います。
『UN-GO pako&高河ゆん デザインワークス』のインタビュー等を読むとキャラデザ担当や監督間で確りとキャッチボールがなされていたようで、各キャラに対して違和感のない容姿が振り当てられていたことも大きいかもしれませんね。
背徳的な色気、のあたりは色々腑に落ちました。
シャープで基本的に細身のデザインなんですが、女性陣なんかは出るところは出ていたり妙なところに肉付きの良さがあったり、といったあたりの外面的部分以外に、仰る通り、仕草や言動からくるコントラストも影響してそうですよね。
いや、絵樟さんが同じ意見を持たれていたことにも安心しました(笑)
という訳で、
このあたりでそろそろ締めたいと思いますが、最後に、絵樟さんの方から何かありますでしょうか?
絵樟さんは文章だけでなく絵を描けるのも凄いなあと普段から思っているのですが、よろしければ「UN-GO」のイラストで代表作的なものがあれば何点かお見せしていただけるとありがたいかなあと…(笑)
イラストに関しては、目下修行中なので恥ずかしいんですが(笑)……、強いて挙げるなら、以下の風守イラストが自分でも満足度高いものになりますかね。
とにかくまだまだ発見の多い超高密度なアニメであることは間違いないので、一人でも多く本作の魅力にふれて頂ける人が増えることを願うばかりです。
こうした紹介の場を改めて作っていただいて本当にありがとうございます。
イラスト、無理言ってすいません、ありがとうございます。
いやあ、素晴らしいと思います!額に入れて飾りたいレベルといいますか、差し色の水色とか、好きですねぇ。
こちらこそ、本文の加筆に加えこうして対談にまでお付き合いいただき感謝しています。
本日はありがとうございました。
執筆者 : 絵樟 (@EX5551)
旧ブログ「江楠-weblog」にて、さらに詳細な『UN-GO』感想・考察も公開しています。
http://ex555weblog.blog.fc2.com/blog-category-15.html
現在は新ブログ「ケッカロン。」にて活動中。
https://ex5551htn.hatenablog.com/
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